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PNGタイトル
正式国名 | パプア・ニューギニア(Independent State of Papua New Guinea)
面積 | 46.2万平方キロメートル(日本の約1.25倍。世銀)
人口 | 652万人(2008年、ADB)
首都 | ポートモレスビー(Port Moresby)
民族 | メラネシア人
主要言語 | 英語(公用語)、ピジン英語、モツ語
宗教 | キリスト教徒多数(人口の90%以上)、祖先崇拝等伝統的信仰も依然根強い
略史 | 16世紀 前半からヨーロッパ人の来訪あり
1884年 ドイツがニューギニア北東部を保護領とする(独領ニューギニア)
1884年 英国がニューギニア南東部を保護領とする(英領ニューギニア)
1906年 英領ニューギニアがオーストラリア(豪州)領となる
1914年 豪州が独領ニューギニアを占領
1920年 国際連盟、独領ニューギニアの統治を豪州に委任
1942年 日本軍進駐
1945年 日本軍降伏、豪州が統治
1946年 豪州を施政権者とする国連の信託統治地域となる
1963年 住民議会設置
1973年 内政自治に移行
1975年 独立
PNG地図
地理と地勢

オーストラリアの北160km、赤道の直ぐ南に位置し、ニューギニア島の東半分とニューブリテン島、ニューアイルランド島、ブーゲンビル島など大小700を超える島々から成る。ニューギニア島の西にはインドネシア群島、東にはメラネシアの島々があり、地理的にも文化的にも、両方の影響を強く受けている。
ニューギニア島の高地は谷が深く険しい。イリヤンジャヤとの国境近くの高山から東に蛇行して流れる全長1,126kmのセピック川は、中流域では広大な湿地帯となる。本島の中央部を北西から南東にかけて山脈が続き、最高峰はウイルヘルム山の4,508m、ポートモレスビーの北には4,038mのビクトリア山がある。火山の活動も活発であり、最近では1994年9月19日にニューブリテン島のラバウルにあるタヴルヴル山とヴァルカン山、21日にラバラナカイア山が噴火し、 ラバウル旧市街は火山灰に埋まり壊滅状態になった。現在、ラバウル旧市街に代わる新しい市街がココポに作られ、空港もココポ郊外のトクアに移っている。

気候

気温グラフ 一部の山岳地帯を除き、国土のほとんどが熱帯気候でモンスーンの影響下にあり、年中高温で多雨となっている。ほとんどの場所で5月から11月が乾季で、12月から3月が雨季となる。ただ、パプア湾に面したガルフ州は世界的にも知られる多雨地域で、年間の降雨量は8000mmにも達し、特に雨の多いのは5月から10月。また、ソロモン海に面したラエからアロタウにかけては4月から9月が雨季となる。
首都のポートモレスビーは、年間降雨量が1,000mmほどと少なく、4月から11月は乾燥して埃っぽい毎日が続く。 一方、ラエは4500mmを超え、ウェスト・ニュー・ブリテン州では6000mmを超えるところもある。気温は年間を通して大きな変化はなく、平均気温はポートモレスビーやラエで27℃、中央高地では18℃で、夜は10℃くらいまで下がることもある。

歴史

先史時代
ニューギニア島に人々が移動してきたのは5万年前の氷河期時代に遡る。スマトラからインドネシアの島伝いに、あるいはカリマンタン島を経由して移住してきた人々が、ニューギニア全土に定住するようになったのは紀元前8000年ごろからと云われている。当時はオーストラリアと陸で繋がっており、さらに南下して行った人々がアボリジニと呼ばれるようになった。
紀元前9000年頃、ニューギニア島の高地に住む人々は既にサゴヤシの実、パンの木、バナナ、ヤムイモ、サトウキビなどを植えていたらしい。

ヨーロッパとの接触
記録では、最初にニューギニア島に上陸したヨーロッパ人はポルトガル人のメネセスで、1526年となっている。上陸したのはニューギニア島の北西部の龍の頭の形をした半島である。ヨーロッパからの本格的な進出は大航海時代を迎える16世紀からで、1545年にスペイン政府が統治宣言を行った。しかし、この宣言は形式的なもので実際には統合されず、1660年にはオランダ東インド会社が島の一部を占有した。

植民地の時代
19世紀に入るとヨーロッパによる植民化競争が激しくなり、1824年には英国とオランダが西側の覇権を巡って衝突、1828年に英国の撤退で一時的な解決を見た。1882年、ドイツが積極的な植民地政策を進めたことに英国が反発し、オランダを含めた3国間での調整が図られた。その結果、1884年9月、ニューギニア島の3分割が決定した。西地区はオランダ、南東部は英国、そして北東部は最初に領有を主張したドイツの権利が認められた。東西の分割は、この時点でヨーロッパ人が進出していない山間部で線引きがなされた。
北東部の占有を主張したドイツは、その後15年間この地で植民地経営を行ったが、経営は失敗に終わり、1899年にニューギニア島の東に浮かぶビスマーク諸島へと拠点を移した。  一方、英国は、1888年総督となったマグレガー卿が警察組織を創設するなど安定した植民地経営を行った。1906年、英国の植民地はオーストラリア政府に引き継がれ、オーストラリア領パプアとなった。

第1次世界大戦
1914年、第1次世界大戦の勃発により、英国はオーストラリアに対しニューギニアのドイツ領への占領を要請し、同年9月、オーストラリア軍はニューブリテン島のドイツ軍司令部を占拠したが、ドイツ領を完全に掌握するまでには尚6ヶ月を要した。
1920年、国際連盟はドイツ領ニューギニアの統治をオーストラリアに委任した。これによりニューギニア島の東半分は正式にオーストラリア領パプアニューギニアとなり、積極的な開拓が行われることになった。1927年から30年に掛けて、オランダ領との境を源流としてニューギニア島の北へ流れるセピック川と南のパプア湾に下るフライ川を結ぶ全流域の調査や、過去の入植者が手を付けなかったハイランド地方への探検隊の派遣などが行われた。金鉱脈の発見もこの年代だった。しかし一方では、新しい入植者とニューギニア人との間で労働条件を巡る緊張が高まり、1929年には大規模なストライキが発生している。

第2次世界大戦
1941年12月、日本軍が真珠湾を攻撃した時点では、オーストラリアは英国と共に北アフリカやヨーロッパで2年にわたってドイツ軍と戦っていた。日本軍はその虚を突いてニューギニアからソロモン諸島へと戦線を拡大し、1942年1月23日にはラバウルを占領、ここを拠点にニューギニア島のラエ、サラモアに上陸した。日本軍は、ココダ・トレールの難所を突破してポートモレスビーの僅か50qまで侵攻したが、オーストラリアとアメリカの連合軍の激しい反撃を受け撃退され、この敗戦を機に苦難の撤退が始まった。
1943年9月、連合軍は激戦の末にラエを奪回、日本軍はウエワクまで追い詰められた。ニューギニア島での戦闘は1945年までにほとんど終結していたが、ニューブリテン島やニューアイルランド島での戦闘は無条件降伏による武装解除まで日本軍の散発的な抵抗が続いた。
パプアニューギニアの7月24日の戦没者追悼記念日は、1942年の日本軍の侵略に立ち向かったパプアニューギニアの歩兵大隊の戦闘を記念したものである。

終戦から独立まで
この大戦を契機に、ニューギニアの人々はオーストラリアの植民地政策に疑問を持つようになり、不満は次第に大きくなっていった。また、世界的にも植民地支配への反発が強まったことから、1962年に国際連合はオーストラリアとオランダに対してニューギニアの独立を支援するよう要請した。そのポイントは、国語力の強化を中心とした国民全体のレベルアップと徹底的なエリート教育を同時に行うことによって自治政府の発足を早めることだった。結果として、1963年にはオランダ領の西半分がインドネシア領イリアンジャヤとして独立、1964年には東半分のオーストラリア領では64人の議員による初の議会が開かれた。
1973年に自治政府が発足、1975年3月には外交と国防をオーストラリアから譲り受け、同年9月16日にパプアニューギニアとして完全な独立を達成した。

政治

政体 | 立憲君主制
元首 | ポーリアス
議会 | 1院制、109議席、任期 5年
政府 | 首相:マイケル・ソマレ(2007年8月再任、国民同盟党)
政治状況
(1) パプアニューギニアでは1975年に独立して以来ソマレ政権が5年ほど続いた後、小党が乱立して連立政権が続いている。2007年6月から7月にかけて総選挙が行われ、与党の国民同盟党(NA) が再び勝利し、ソマレ党首が首相に再任され、新政権を発足させた。ソマレ首相は「建国の父」と呼ばれる独立時の初代首相であり、今回で5度目の首相就任。
(2) ソマレ首相は施政方針演説において、(イ)グッド・ガバナンス、(ロ)マクロ経済の安定と輸出主導型経済成長、(ハ)農村開発、貧困削減及び人造りの3つを目標に掲げ、経済社会回復を促進し、政治行政システムを強化する考えを表明した。
(3) 1988年末にブーゲンビル銅山を巡り一部過激派地主が起こした反政府暴動に端を発した「ブ」紛争は分離独立運動に発展し、89年には非常事態宣言が出された。紛争は長期化したが、ニュージーランドの仲介で和平協議が開始され、2001年8月中央政府と分離独立派との間で、(イ)武器回収計画、(ロ)「ブ」自治政府の創設、(ハ)「ブ」の将来の政治的立場についての住民投票権の創設の3つを柱とする「ブーゲンビル和平合意」が署名された。2005年5月にブーゲンビル自治選挙が実施され、6月に自治政府が発足した。
外交・国防
外交基本方針
独立後30年を経た現在、PNGは旧宗主国であり、最大の援助国・貿易相手国である豪州との対等な関係促進、国境を接しているインドネシアとの友好関係の維持、近隣諸国との連携強化等を引き続き外交の機軸としつつ、アジア太平洋地域の一員として、日本をはじめとするアジア諸国との関係強化、同地域内での多国間外交にも力を入れている。
また、南太平洋地域の大国として、太平洋諸島フォーラム(PIF)において強い発言力を有し、地域のリーダーとして独自の外交を展開している。
軍事力
(1)予算 72.0百万キナ(2002年度予算)
(2)兵役 志願兵制度
(3)兵力 兵員規模 約4,500人(豪州政府の支援の下で兵員規模を約2000人まで削減する計画が進行中)
経済

主要産業 | 鉱業(原油、金、銅)、農業(パーム油、コーヒー)、林業(木材)
GDP | 18,551百万キナ(2007年、ADB)
1人当たりGDP | 2,930キナ(2007年、ADB)
経済成長率 | 7.2%(2008年、ADB)
物価上昇率 | 10.8%(2008年、ADB)
通貨 | キナ及びトヤ(トヤ=100分の1キナ)
為替レート | 1キナ=32.55円(2009年10月7日PNG中央銀行)
経済概況
パプアニューギニアは豊富な天然資源(天然ガス、原油、金、銅、ニッケル、コバルト、木材、水産物など)に恵まれ、輸出所得の70%を鉱物資源の輸出が占めている。2003年以降は金、原油、銅などの鉱物資源、コーヒーやココアなどの農水産物の好調な輸出、国際商品価格の高騰、順調な気候条件、安定化した政権、財政金融政策の引き締め、貿易政策の改善により経済はプラス成長を続けており、今後も暫くこの傾向が続くものと見られている。最近は観光資源の開発に力を入れており、輸送や旅行者用諸施設などのインフラ整備への投資が活発化している。
一方、85%の国民は自給自足の農業および漁業に依存しているが、都市部の貨幣経済と村落部の自給自足経済が混在する二重構造となっており、最貧国の一つに留まっている。現在の人口は652万人であるが、その失業率は地域により4%〜80%にもなり、特に都市部での高失業率は社会問題化している。
同国は、基本的な不安定要因として、予測できない天候の変化、原油、農産品などの国際商品価格の不安定さ、ガス・パイプライン・プロジェクトを含む大規模開発案件の推進などを抱え、また、地理的条件による莫大なコストを要するインフラ整備、極端に低い人口密度、加えて、複雑な土地所有制度、深刻な治安問題、遅々として進まない人材開発、年3%以上の人口増加率などはさらに開発の阻害要因となっている。
2007年の総選挙で再選されたソマレ新政権としては、今後も公共部門の改革を始めとする各種政策の着実な実施により、海外投資家の信頼を醸成し経済の安定と成長を図らなければならないという難しい政策運営を迫られている。
貿易

貿易総額 | (2007年、ADB)
輸出:13,866百万米ドル
輸入:7,603百万米ドル
主要貿易品目 | 輸出:金、銅、原油、木材、パーム油、コーヒー、ココア(2006年)
輸入:コメ、食肉、タイヤ・チューブ、未完成缶、紙製品(2004年)
主要貿易相手国 | 輸出(2007年):豪州(26.1%)、日本(9.3%)、中国(6.3%)、独(3.4%)
輸入(2007年):豪州(51.2%)、シンガポール(11.5%)、中国(7.6%)、日本(5.2%)
経済協力

日本の援助実績 |
2007年度2007年度までの累計
有償資金協力なし621.85億円
無償資金協力6.48億円301.76億円
技術協力9.35億円240.32億円
主要援助国 | (2006年、DACベース、百万米ドル)
豪州(242.17百万米ドル)、NZ(13.65)、オーストリア(0.90)
DAC合計 248.26
日本との関係

政治関係 | 1975年  1月 ポートモレスビーに日本総領事館開設
1975年  9月 独立と同時に外交関係を樹立
1975年  12月 パプア・ニューギニアに日本大使館を開設
1979年  9月 同国に初代大使を派遣
対日貿易 | (2008年)
輸出額:930億円
輸入額:187億円
主要輸出品(2007年):金属原料(78.5%)、鉱物性燃料(13.1%)、木材(4.7%)、魚介類(1.56%)、コーヒー(1.4%)
主要輸入品(2007年):輸送機器(72%)、機械(12.3%)
日本の直接投資 | 235件、268.7百万米ドル(2004年度までの累計)
在留邦人 | 202名(2008年10月現在)
在日PNG人 | 74名(2008年末、出入国管理統計年報)
社会と生活

パプアニューギニアは19州と首都圏で構成されている。2008年で総人口652万人(ADB)の居住地域を大きく区分すると、首都ポートモレスビーに約30万人、海沿い地方に約220万人、中央高地(ハイランド)に約230万人、ニューブリテン等の島々に約110万人となり、総人口の約39%がハイランドに居住している。
パプアニューギニア人は歴史的に見ても多くの混血を繰り返し、数多くの部族に分かれたと考えられている。これは植民地時代の住居の強制的な移動などにも影響されている。文化や歴史的な関連性からは、南に多いパプア人、北に多いニューギニア人、そして高地人と島に住む島人に分かれる。また、体型的あるいは肌の色によっても分けることが出来る。

メラネシア社会
多数の部族に分かれていても、いずれもメラネシア人であり共通点を有している。パプアニューギニアの発展の速度は速くなっているが、それでも大半の人々は農業による自足自給の生活である。従って、伝統的社会がそのまま残っており、社会の最も重要な基盤は部族である。若者は年配者のために働き、家族は一族のため、一族は部族のために結束する。
貨幣経済が次第に広がっている一方で、中央高地やセピック川の中・上流域では従来からのシェルマネー(真珠貝などの貨幣)や豚のほうが依然として価値があったりする。現在でも一部地域ではシェル・マネーが使われており、他には冠婚葬祭での贈り物として重要な意味を持っている。
 
ワントク(Wantok)
パプアニューギニアには、人々の間に「ワントク」と呼ばれる仲間意識(義理のようなもの)がある。「ワントク」(Wantok)は、文字通りには「ワン・トーク」(0ne talk) または「同じ言葉」を意味するが、さらに「同じ家族」、「同じ部族」と言う意味が加味される。誰かに助けてもらった場合は、自分が損をすることになっても相手を助ける義務を負う。この意識が、資本主義的もしくは西洋的な生活様式、ビジネス様式に組み合わされた場合、問題が生ずる原因になることがある。
教育

州によって若干の違いがあるが、約70%の子供たちが正規の小学校教育を受けている。公立の小学校も授業料が必要である。上級学校に進学するのは、その内の約30%、さらに専門学校や大学に進学するのは約1%である。

宗教

パプアニューギニアは憲法でクリスチャンの国であると宣言している。カトリック教徒が約28%、ルター派が約23%、ユナイテッド教会が約13%で、その他は英国国教会など広い宗派に属している。一方では依然として伝統的な宗教や精霊が信仰され、特に高地族にその傾向が強い。

言語

パプア・ニューギニアで使われる言語は、大きく分けて500、細かく分けると800語を数える。共通語は公用語が英語で、日常的に話されるのはピジン英語とモツ語。ピジン英語とは英語と現地語が混じったものの総称であり、したがって隣国のソロモンやヴァヌアツで使われるピジン英語と共通点は多いが同じではない。
ピジン英語の特徴は同じ発音を繰り返す単語が多いことだ。たとえば、「話す」は「トクトク」、「食べる」は「カイカイ」、「花」はナタナタ、「ワニ」は「プクプク」、「小さい、あるいは少し」は「リクリク」で、「もっと小さい」は「リクリクモア」など、素朴でどこか楽しい。しかし、英語と似ていても意味が全く違う単語もあるので注意したい。

(ピジン語を覚えよう)

おはよう。 モーニン(Monin)
こんにちは。 アピヌン(Apinun)
こんばんは。 グッナイト(Gutnait)
ありがとう。 テンキュー(Tenkyu)
ごめんなさい。 ソーリートゥルー(Sori tru)
お元気ですか。 ユーオーライ?(Yu orait?)
私は元気です。 ミオーライ(Mi orait)
じゃまたね。 ルッキム ユー(Lukim yu)
さよなら。 グッバイ(Gutbai)
写真を撮ってもいいですか? イナップミキッシムサンペラピクサ?(Inap mi kisim sampela piksa?)
何? ワネム?(Wanem?)
いつ? ワネムタイム?(Wanem taim?)
どこ? ウェー?(We?)
だれ? フサット?(Husat?)
なぜ? ビロング ワネム?(Bilong wanem?)
いくら? ハマス?(Hamas?)
動物と植物

--写真--鳥 ニューギニア島の生物区分は有袋動物が特徴のオーストラリア区に属し、アジア大陸の影響はほとんど受けていない。有袋動物は木登りカンガルーやクスクス、ワラビーなど60種類が生息している。ほかにはフルーツ・コウモリなどで、豹や虎などの猛獣はいない。爬虫類は、約100種類のヘビと2種類のワニ、13種類のカメなどが確認されている。
鳥類は約700種類が生息すると言われる。日本ではフウチョウ (風鳥) が正式名の極楽鳥だけでも、全42種類のうちの38種類がパプア・ニューギニアで確認されている。国鳥も極楽鳥の一種のオオフウチョウで、これは全長30〜40cmあり、オスの羽は目を見張る美しさである。繁殖期にはオスが1カ所に集まって踊り、メスがそれを見て選ぶ習性が面白い。オウムの種類も多く、カソワリやオオギバトも固有種として有名だ。
パプア・ニューギニアには、世界で最も大きい蝶のクイーン・アレクサンドラを含む何千という種類の蝶が生息している。
植物では、まず3,000種類もの蘭があり、世界の鑑賞用の蘭の多くがここから始まったと言われている。また、シダの種類も多い。

在日政府機関

大使館 | 〒108-0073 東京都港区三田1-4-28 三田国際ビル313
電話:03-3454-7801  FAX:03-3454-7275
政府観光局 | 〒160-0008 東京都新宿区三栄町26-3
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