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ミクロネシア連邦タイトル
正式国名|ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia)
面積|700平方キロメートル(奄美大島とほぼ同じ(世銀))
人口|108,100人(2008年推定値、ミクロネシア政府統計)
首都|パリキール(Palikir)
民族|ミクロネシア系
主要言語|英語および現地の8言語
宗教|キリスト教
略史|
1500年代スペイン人がミクロネシアの島々を発見。
1914年第1次大戦始まる。日本はドイツ領ミクロネシアを占領。
1920年国際連盟より日本のミクロネシア委任統治が認められる。
1945年太平洋戦争終結、米軍の占領が始まる。
1947年国連の太平洋信託統治領として米国の統治が始まる。
1965年ミクロネシア議会発足
1978年ヤップ、トラック(現チューク)、ポナペ(現ポンペイ)、コスラエの4州で連邦を構成。
1979年憲法を制定し自治政府が発足。初代大統領に日系のトシオ・ナカヤマ氏が就任。
1986年11月、米国との間で自由連合盟約を締結。
1988年12月、日本はミクロネシア連邦と外交関係樹立。
1991年9月17日、国連に加盟。
ミクロネシア連邦地図
地理と地勢

ミクロネシア連邦は、太平洋の赤道の北半球側に沿って点在する607の島と環礁から成っており、西側に位置するパラオ共和国と共にカロリン諸島を構成している。東側にはマーシャル諸島とギルバート諸島、北側にはグアムやサイパン島の属するマリアナ諸島が広がっている。ミクロネシア連邦の総面積は約700㎢で、日本の奄美大島とほぼ同じである。首都のある最大の島ポンペイ島は約337㎢(ポンペイ州約345㎢)で連邦全体の土地面積の約半分を占め、次いでコスラエ島の約110㎢(コスラエ州約110㎢)、ヤップ島の約100㎢(ヤップ州約118㎢)となっており、チューク州は面積約127㎢である。
ミクロネシア連邦の島々は、火山活動により作られ、その高低によって大きく区分できる。海抜の高い島は火山の頂が海の上に出ている火山島で、コスラエやポンペイがこれにあたる。一方、チュークは低い環礁である。このいずれにも属さないのがヤップ島で、これはアジア大陸の大変動によって形成されたものである。

歴史
●古 代
ミクロネシア地域には紀元前2000年〜4000年に、現在のフィリピンやインドネシアから渡ってきた定住者がいたと考えられている。また、ミクロネシア連邦で発掘された最も古い土器は、紀元200年頃のものであり、この時代にヤップ島に定住者が居たことの唯一の物的証拠となっている。
●中 世
ポンペイでは、12世紀頃から14世紀頃まで、シヤーウテール王朝が、遺跡として残っているナン・マドールを拠点として支配した。コスラエでは、レロ島の遺跡から、14世紀頃から19世紀中頃まで王朝が支配していたことがわかっている。
●ヨーロッパとの出会い
1525年にポルトガルの探検隊がスパイス・アイランド(現インドネシア)を探す途中でヤップ本島とユリシー島を発見、ヤップ島に上陸した一行は4ヶ月間この島に留まった。次いで1529年にスペイン人がポンペイ島に、1565年にチュークに寄港した。
コスラエについては1824年にフランス船が入港したのが西洋人との最初の接触である。当時の記録は、コスラエには約5,000人ほどの住民がおり、武器は所有しておらず、平和的な人々である、と伝えている。
●スペインの進出
スペインは、1595年にポンペイ島を自国の領土と宣言したが、カトリックの布教以外の活動はなく、実質的な統治は行わなかった。1800年代中期には、捕鯨船団と貿易商、プロテスタントの宣教師が頻繁にポンペイ島を訪れるようになった。
スペインは、ポンペイの領有を宣言してから約300年後の1886年、マリアナ諸島、カロリン諸島の領有権を宣言、ポンペイ島をカロリン諸島の一部として支配権の確立とカトリックの布教活動を積極化した。しかしスペインによる統治は、要塞建設のための強制労働への不満やプロテスタント信者による反発もあり、政治的に不安定な状態が続いた。
●ドイツの統治
1869年、ドイツ人が貿易のための拠点をヤップ島に開設した。以前から領有権を主張していたスペインは1885年に軍隊を派遣したが、その14年後の1899年にはパラオを含むカロリン諸島をドイツに売却した。ドイツの関心はミクロネシアの統治というより、ドイツ人が経営するコプラの生産を守ることにあったが、ヤップやパラオのコプラ貿易の多くは既に日本人貿易商の手中にあった。
●日本の統治
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、日本は赤道以北のドイツ領ミクロネシア地域をその管理下においた。日本はそれ以前の1800年代後半からドイツの統治時代を通じてミクロネシア地域との経済関係を強化しており、第一次世界大戦の直前にはミクロネシア地域の貿易の80%以上を扱うまでになっていた。日本に輸入された主なものとしては、べっ甲や養殖真珠のためのあこや貝などが知られている。
その後、日本は勢力範囲を拡大し、ミクロネシア地域の島々を次々に占拠。1920年、国際連盟は日本にミクロネシア地域の統治を委任した。1940年には、5万人のミクロネシア人に対し、日本人居住者は8万5千人に膨れ上がり、サトウキビやコプラなどの農業生産を活発化させ、リン鉱石を採掘し、ミクロネシア地域からの輸出が輸入を超えるという状態となった。また、日本人児童が通う学校を作る一方で、ミクロネシア人のための3年制の学校が建てられた。日本の統治は1945年まで30年間続いた。
●太平洋戦争
太平洋戦争中、チューク環礁は旧日本海軍の最も重要な基地となった。世界最大級の環礁に囲まれた基地は敵の侵入を防ぐのが容易であり、「太平洋のジブラルタル」と呼ばれるほど完璧な艦隊の停泊地であった。1944年2月、米軍はミクロネシア地域の旧日本軍基地への徹底的な攻撃を開始した。米国海軍は、チューク環礁に停泊していた旧日本海軍の艦艇を空爆、丸2日間の攻撃で60隻の艦船を海底に沈めた。旧日本海軍は、3万人の将兵を基地のあったデュプロン島に残したまま撤退した。
●アメリカの信託統治
1947年、国連はミクロネシア地域を6つの地区(マリアナ、ポンペイ、チューク、ヤップ、マーシャル、パラオ)に分け、アメリカ合衆国を受任国とする信託統治地域とした。
1965年、アメリカ合衆国はミクロネシア人の政治的将来を考えるフォーラムとして、ミクロネシア議会の発足に同意した。議会はすべての島グループから選出された代表者で構成される2院制の議会であった。
●独立への道
1970年代後半、アメリカ合衆国と6つの信託統治地区との間で自治のための交渉が始められた。1978年7月、チューク(旧名:トラック)、ヤップ、ポンペイ(旧名:ポナペ)、パラオ、マーシャルの5地区と1977年に加わったコスラエによってミクロネシア憲法草案が起草されたが、マーシャル諸島とパラオではそれぞれの住民投票によってこの草案は否認された。その結果、チュークとヤップ、ポンペイ、コスラエは、ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia=FSM)を構成する州となり、憲法が1979年5月に発効した。
1986年、ミクロネシア連邦は、アメリカ合衆国に国防と安全保障を委ねた自由連合関係に移行し、経済を含む国内問題はすべて自国内で処理することができるようになった。1990年12月、国連安全保障理事会はミクロネシア連邦の信託統治の終了を宣言した。
政治

政体|大統領制(各州1名ずつ選出された4年任期議員の中から全議員14名により選出)
元首|エマニュエル・モリ大統領(2007年5月選出、1期 4年)
議会|1院制(4年任期議員 4名、2年任期議員10名)
政府|大統領:エマニュエル・モリ
政治状況
言語、習慣、文化等が異なる4州が連邦を構成しているため、政府の雇用者、議会の委員長の配分等は全て州の人口比に応じて行われており、大統領も紳士協定により、各州の輪番制となっている(4年任期議員の中から互選)。議会は1院制で、4年任期議員4名(各州1名)、2年任期議員10名(チューク州5名、ポンペイ州3名、ヤップ州・コスラエ州各1名)で構成されている。政府の課題は種々の面で各州間の利害関係を調整しつつ、如何に経済開発を進め、自立可能な経済を構成するかにある。
政府の主要政策は、漁業・農業・観光を軸とする経済的自立の達成、伝統文化の保持と近代化の調和ある国家形成、政治的統合の強化である。
2007年5月、大統領選挙でモリ大統領、アリク副大統領が選出された。
外交

基本外交方針は、自由連合関係にある米国との緊密な関係、南太平洋諸国、特に近隣諸国(マーシャル、パラオ)との協力関係、日本との友好・経済的関係の促進、並びに国際社会のメンバーとしての責任遂行である。2008年4月現在、60カ国と外交関係を開設している。米・ミクロネシア自由連合盟約により、ミクロネシア連邦の安全保障、国防上の権限は米国が有する。

経済

主要産業|農産品(ココナツ、タロイモ、バナナ等)、水産業
GDP| 235.9百万米ドル(2007年推定値、ミクロネシア政府統計)
1人当たりGDP| 2183米ドル(2007年推定値、ミクロネシア政府統計)
経済成長率|-3.2%(2007年推定値、ミクロネシア政府統計)
物価上昇率|3.5%(2007年推定値、ミクロネシア政府統計)
通貨|米ドル
為替レート|1ドル=95.17円(2009年6月27日現在)
経済概況
ミクロネシア連邦の経済は、基本的には第2次大戦後の米国との自由連合盟約(コンパクト)による経済援助(2005年は年間5600万米ドルでGDPの約15%を占める)により成り立ってきた。1996年からはアジア開発銀行(ADB)など国際機関の協力を得て経済改革を開始し、国家財政の安定化、国営企業の民営化、投資環境の改善、民間部門の開発に努めている。2007年の経済成長率は約-3.2%である。なお、今後、米国からの援助が減少する方向にあり、また公共部門の改革が遅れ、同時に民間部門の成長が低いこともあり、中期的に見ると経済開発は容易ではない。現在、貨幣経済と伝統的自給経済が混在している同国では、生活必需品の多くを輸入に依存しており、貿易収支は恒常的に赤字である。
産業

ミクロネシア連邦の主要産業は水産業と観光である。
水産業については、2500万㎢の排他的経済水域を背景に、冷凍施設や加工工場が建設され、輸出収入の大半は水産物の輸出から生まれており、日本への輸出は、総輸出額の15.5%(2005年)を占めている。また、赤道直下の水域は、マグロの回遊路となっており、主に近海漁業を行う日本、韓国、台湾、中国等外国の漁業会社から支払われる年間入漁料は 約1300万ドルにのぼり、国家歳入の約10%を占めている。
ダイビングやエコー・ツーリズムに代表される観光については、外貨獲得のための有望な民間産業である。観光客数は2006年で約19,136人、そのうち日本人は20%、米国人は43%であった。道路、電力、水などのインフラの未整備もあり、開発には制約がある。
農業は、自給用として重要な産業であり、主な作物はココナッツ、タロイモ、ヤムイモ、バナナ、キャッサバ、パンの実等である。換金作物として、柑橘類、バナナ等の果物及びベテルナッツ、コプラ、カヴァ等が輸出されている。

貿易

貿易総額|(2005年、ミクロネシア政府統計)
輸出: 12,984千米ドル
輸入:130,214千米ドル
主要貿易品目|(2006年、ミクロネシア政府統計)
輸出:魚類、べテルナッツ、カヴァ等
輸入:食料品、機械・車輌、石油製品
主要貿易相手国|(ミクロネシア政府統計)
輸出(2005):日本(15.5%)、グァム(7.3%)
輸入 (2006):米国(本土、グァム)(58.5%)日本(9.5%)、韓国(5.8%)
経済協力

日本の援助実績|
2006年度2006年度までの累計
有償資金協力なしなし
無償資金協力7.25億円151.36億円
技術協力2.75億円64.03億円
主要援助国|(百万米ドル、2005年、DACベース)
米国(94.1)、日本(8.0)、豪州(1.8)
日本との関係

政治関係|1988年 日本との外交関係樹立
1989年 在京ミクロネシア連邦大使館開設
1995年 在ミクロネシア日本大使館開設(大使は駐フィジー大使が兼任)
対日貿易|(2007年、通関統計)
輸出額:456,480千円
輸入額:1,552,609千円
主要輸出品:魚介類(95%)
主要輸入品:輸送機器(43%)、一般機械類(19%)、食料 品(14%)
日本の直接投資|18件
在留邦人|114名(2007年10月)
在日ミクロネシア連邦人|31名(2006年12月)

戦後、国連下で信託統治領となったミクロネシアでの補償要求の動きに対し、日米両国は、1969年、ミクロネシア協定を締結し、現地住民の苦痛に対し同情の念を表明すると共に、地域の福祉向上に寄与するため、ミクロネシアに対し各々500万米ドル(当時のレートで18億円)の自発的援助を行った。
ミクロネシア連邦は1984年、東京に連絡事務所を設置、88年には両国間に外交関係が樹立され、89年に在京ミクロネシア連邦大使館が開設された。そして、1995年ポンペイ州に在ミクロネシア日本大使館が開設された。
ミクロネシア人は、日本とは地理的に近く、日本の統治下で日本語教育を受けた世代もあることから、日本及び日本人に対して一般的に親近感を持っている。1974年には外国投資の解禁に伴い日本企業が進出した結果、人的往来が増加し、また日本大使館の開設及び日本の経済協力の増大等もあり、対日認識、親近感が深まった。
2007年10月現在の在留邦人数は、114名で、大半がポンペイ州のコロニア周辺に居住している。
日系企業数は2005年10月現在、14社あり、ホテルやレストラン等の観光関連サービス業及び商業関係がほとんどである。
貿易関係では、ミクロネシア連邦の輸出の15.5%(2005年)が日本向けであり、その85.8%(2005年)は、マグロ、カツオ等の魚介類である。同国の輸入 (2006年)は、58.5%が米国から、日本からは9.5%を輸入しており、その主な輸入品目は、機械、車両等の工業製品、食料品である。同国の対日輸出額は、2007年統計で約450万米ドル、日本からの輸入額は、 約1550万米ドルで、日本の大幅な入超となっている。

在日政府機関

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電話:03-3585-5456    ファックス:03-3585-5348
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