| 正式国名 | | |
フィジー諸島共和国(Republic of the Fiji Islands) |
| 面積 | | |
1万8,333平方キロメートル(四国とほぼ同じ大きさ。フィジー統計局) |
| 人口 | | |
837,271人(2007年、フィジー統計局) |
| 首都 | | |
スヴァ(Suva)(
首都人口:75,225人、2007年4月) |
| 民族 | | |
フィジー系(57%)、インド系(37%)、その他(6%)(2007年調査) |
| 主要言語 | | |
英語(公用語)のほか、フィジー語、ヒンディー語を使用 |
| 宗教 | | |
フィジー系はほぼ100%がキリスト教、インド系はヒンズー教、イスラム教
(キリスト教:64%、ヒンズー教:28%、イスラム教:6.3%) |
| 略史 | | |
1643年 タスマン、フィジー諸島の北部を発見
1874年 英国の植民地となる
1970年 10月10日、英国より独立(立憲君主制)。国名:フィジー
1987年 10月、共和制へ移行。国名:フィジー共和国
1998年 7月27日、修正憲法発効。国名:フィジー諸島共和国
2000年 5月、武装グループによる国会占拠事件が発生
2000年 7月、ガラセ氏を首班とする暫定文民政府が発足
2001年 9月、総選挙を経てガラセが首相に就任
2006年 5月、ガラセ首相再任
2006年
12月、バイニマラマ国事司令官による無血クーデター、セニランガカリを暫定首相に任命
2007年 1月、セニランガカリ暫定首相辞任、バイニマラマ司令官暫定首相に就任 |
地理と地勢
フィジー諸島は南緯12度から21度、東経174度から西経178度に位置し、180度の子午線がヴァヌア・レヴ島の東にあるタヴェウニ島を通っている。フィジー諸島は、
総面積18,333平方キロメートルで、面積10,390平方qのヴィチ・レヴ島(Viti
Levu)から直径数mの小島を含む332の島(内222は無人島)で成り立っている。ヴィチ・レヴ島に次いで大きいのはヴァヌア・レヴ島(Vanua Levu)で面積は5,538平方q、3番目はタヴェウニ島である。小さい島は一般にサンゴあるいは石灰岩によって形成されたものであり、一方、大きい島は火山がその起源となっている。主島ヴィチ・レヴは、まだ若干の火山活動を示している。フィジーの最高峰はヴィチ・レヴ島の北部にあるTomanivi山(Mt
Victoria)で標高1,323m。
気候
フィジーの年間平均気温は25℃と穏やかであるが、スヴァに比べてナンディはやや高めとなっている。南半球が冬となる7月、8月はナンディでは20℃を下回り18℃まで下がることが珍しくない。しかし最も暑い夏でも31℃を超えることは比較的少ない。11月から4月が雨季で5月から10月が乾季となるが、年間を通してスヴァはナンディより雨の日が多い。したがってナンディよりも湿度が高く、スヴァは湿度60%から80%の日が続く。ヴィチ・レヴ島やヴァヌア・レヴ島などでは、島の中央に高い山があることから貿易風の影響で島の西側が東側に比べて雨が少なく、リゾート地が西側に多い理由にもなっている。11月から4月はサイクロンのシーズンになるが、必ずしも毎年来襲するわけではない。
政治
| 政体 | | | 共和制 |
| 元首 | | | ラトゥ・ジョセファ・イロイロ大統領(2001年3月就任
、2006年3月再任) |
| 議会 | | | 2 院制
・上院:32議席、任期5年、解散あり。また、下院解散時には上院も解散。
・下院:71議席、任期5年、解散あり。 |
| 政府 | | | 暫定首相:ヴォレケ・バイニマラマ(2007年1月就任) |
99年5月の総選挙でチョードリーが初のインド系首相に就任した。2000年5
月、フィジー系の権利擁護のためインド系政権の交替と97年憲法の廃止、マラ大統領の辞任等を主張する武装勢力が議会を占拠し、チョードリー首相ら閣僚30名を拘束する事件が発生した。同月、バイニマラマ軍司令官が行政権を掌握、戒厳令を発令し、97年憲法は政令により廃止された。7月、人質は解放され、GCCはイロイロ大統領、セニロリ副大統領を任命した。同月、ガラセ首相率いる暫定文民政権が発足した。11月、ラウトカ高等裁判所が暫定政権を違法とする判決を下し、2001年3月には控訴裁判所もこれを支持する判決を下した。同月、GCCがイロイロ、セニロリ正副大統領を再度任命し、ガラセ選挙管理内閣が発足。2001年8月には総選挙が行われ、ガラセ新政権が誕生した。以来2000年クーデターの事後処理等をめぐり、野党労働党との対立が続き、ガラセ首相とバイニマラマ司令官との確執も先鋭化していった。2006年3月、ガラセ首相は議会を解散、総選挙に踏み切り、与党統一フィジー党が再び過半数の議席を得て首相に再任され、労働党との連立政権を組織した。しかし、同年12月、バイニマラマ軍司令官はガラセ政権の腐敗粛正等を理由に再度クーデターを決行、現在もバイニマラマ司令官が首相として暫定政権を率いている。このクーデターに対しては国際社会、特にオーストラリア、ニュージーランド、EUが批判し、速やかに総選挙を実施して民主主義体制に復帰するよう強く迫った。クーデターの影響で、観光客も激減し、経済も不振となるなど暫定政権は困難な政策運営に直面していった。この間、暫定政権は、太平洋諸島フォーラム、EU等との対話を経て、2009年3月までに総選挙を実施するとの方針を明らかにした。今後、暫定政権がいかにオーストラリア、ニュージーランド、EU等との関係を改善し、公約通り総選挙の実施にこぎ着け得るか注目される。
- 議会
- 議会は32議席の上院と71議席の下院(任期それぞれ5年)で構成されている。上院議員はGCC、首相、野党代表、ロトゥマ評議会の助言により大統領が任命する。下院は民族別割り当て議席46議席と民族に関係なく選出されるオープン議席25議席より成る。
- 伝統的評議会(Great Council of Chiefs : GCC)
-
フィジーが英国の植民地となった際、初代ゴードン総督を迎えるため各地の高位の伝統的指導者が集まった会合が起原。現在は少なくても年1回会合を開くことになっており、召集はフィジー系問題担当大臣が担当している。構成員は大統領、首相、各州代表など50名程度となっている。現行憲法 (97年憲法) は、GCCの大統領任命権を認めている。
なお、現暫定政権は、GCCを抜本的に見直していく方針であり、その活動を休止させている。
- 大統領
- 現行憲法の下では、大統領は伝統的社会指導者大会議 (GCC) が任命する。首相は下院の過半数の支持を得られると思われる下院議員を大統領が任命、その他の大臣は首相の助言に基づいて両院議員の中から大統領が任命する。
外交
- 基本方針
- 豪州、NZ、南太平洋諸国との協力関係重視。ASEAN諸国及び日本を含む東アジア諸国との関係強化に努力している。99年6月、国交を断絶していたインドとの関係を正常化した。
経済
| 主要産業 | | | 観光、砂糖、衣料が三大産業 |
| GDP | | | 4,648百万フィジードル(2006年暫定値、フィジー統計局) |
| 1人当たりGDP | | | 5,474フィジードル(2006年暫定値、フィジー統計局) |
| GDP実質成長率 | | | -6.6%(2007年、フィジー統計局) |
| 物価上昇率 | | | 4.8%(2007年、フィジー統計局) |
| 失業率 | | | 8.1%(2007年、フィジー統計局) |
| 通貨 | | | フィジー・ドル(F$) |
| 為替レート | | | 1フィジー・ドル=71.69円(2007年平均) |
20世紀の大部分は砂糖産業がフィジー経済を支えてきた。現在では、砂糖産業と年間約50万人の訪問者を迎え入れている観光産業及び海外在住のフィジー人からの送金がフィジー経済の屋台骨を支えている。主な輸出品は砂糖、金、衣類、魚類等である。輸出先は2004年の統計によればオーストラリアが第1位で、米国、英国、シンガポール、ニュージーランドがそれに続いている。また、主要輸入品は機械・輸送機器、工業製品、食料・雑貨品、石油等で輸入先はオーストラリアが最大で、シンガポール、ニュージーランド、日本、中国が続いている。
しかし、フィジー社会もグローバライゼーションの影響をまともに受け、伝統的な自給自足経済も徐々に変化し、経済の発展と共に都市部を中心に貧富の差が拡大している。伝統的な村社会を捨て都市部に流入する人口の増加が続き、自給経済から離れることで貧富の差が広がり、それに若年層を中心とする失業者の増加が深刻な問題となった。
2000年5月のクーデターは発展しつつあった経済に大きな打撃を与えたが、程なく観光産業、建設業が急速に回復、観光客数も右肩上がりで増え2004年以降は50万人を超えるまでとなった。一方、伝統的な砂糖産業は近代化に遅れ徐々に国際競争力を失っている。2006年12月のクーデターによる経済への打撃も極めて大きく深刻なものとなっており、暫定政権は困難な経済運営を強いられている。
貿易
| 貿易総額 | | | 輸出:1,210百万フィジードル(2007年暫定値、
フィジー統計局) 輸入:2,890百万フィジードル(2007年暫定値、フィジー統計局) |
| 主要貿易品目 | | | (2007年暫定値)
輸出:食品(34%)、飲料・タバコ(9.8%) 輸入:鉱物燃料(33%)、機械・輸送機器(19.7%)、工業製品(14.6%)、食品(13.6%) |
| 主要貿易相手国 | | | (2007年暫定値 金額順)
輸出:豪州、米国、英国、NZ、日本 輸入:シンガポール、豪州、NZ、中国、米国、日本 |
経済協力
| 日本の援助実績 | | |
| 2006年度 | 2006年度までの累計 |
| 有償資金協力 | なし | 22.87億円 |
| 無償資金協力 | 0.75億円 | 146.44億円 |
| 技術協力 | 8.17億円 | 211.19億円 |
|
| 主要援助国 | | | (百万米ドル、2005年、DACベース)
豪州(20.46)、日本(12.59)、NZ(3.47) |
日本との関係
| 政治関係 | | | 1970年 フィジー独立と同時に同国を承認
1979年 1月 日本大使館をスヴァに開設
1981年 1月 在京フィジー大使館開設
1987年 12月 新政府承認
1990年 7月 在大阪名誉総領事任命(98年9月まで)
2000年 9月 新政府承認 |
| 対日貿易 | | | (2006年、通関統計) 輸出額:6,035,913千円 輸入額:5,460,875千円 主要輸出品:魚介類(34%)、
加工食品(33%)、木材(30%)、 主要輸入品:輸送機器(60%)、一般機械類(14%)、化学品(4%) |
| 日本の直接投資 | | | 158件、120.2億円(2003年度までの累計) |
| 文化関係 | | | ・フィジー文化遺産保存、学校教育機材充実等のため各種文化無償援助を実施。
・USP(南太平洋大学)の「南太平洋人造り基金」設立のため50万米ドルを拠出
・太平洋知的対話ミッションの派遣。国費留学生、若手外交官の日本語研修、青年招聘事業にて人材養成に協力。
・1998年7月、日本・フィジー友好協会が設立された。
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| 在留邦人 | | | 420名(2007年10月) |
| 在日フィジー人 | | | 186名(2006年末) |
人口と人々
フィジーの人口は2007年の調査で約84万人となっている。その約半分が20歳以下の年齢層に属する。居住地域については、人口の約40%が都市部に生活している。全人口の75%がヴィチ・レヴ島に、18%がヴァヌア・レヴ島、残り7%がその他の島で生活している。フィジーは多民族国家で、インド系やヨーロッパ人との混血を除くフィジー人は全体の半数に過ぎない。また、フィージアンといっても一言で総括することは難しく、文化的にも身体的にもメラネシア、ポリネシア、ミクロネシア、ヨーロッパ、アジア等地域の多彩な影響を受けている。それは複雑さだけでなく、生活や文化に豊かさをもたらしている。
- フィジー系住民とインド系住民の確執
-
前述したようにその数は拮抗しており、これがフィジーの社会問題の原因ともなっている。2007年の調査ではフィジー系57%、インド系37%。インド系フィジー人は都市生活者が多いことから、初めてフィジーを訪れる観光客にはこの数字が意外に思えるかも知れない。
フィジーにインド人が多い理由は、1879年にサトウキビ栽培のため同じ英国の植民地だったインドから労働者が植民したことに始まる。労働意欲が旺盛で確固たる経済観念を持つインド人は、マイペースのフィジー人に比べ数倍も働くことから使用者側の英国人に受けが良く、インド人の移住者は増え続けることになった。インド人が植民してから91年後の1970年、フィジーが英国から独立した後もインド人はフィジーに留まりインド人社会は膨張し続けた。
-
初めはインド人に対して特別な感情を抱いていなかったフィジー人であったが、独立後の経済発展で貧富の差を生むようになり、経済観念に優れたインド人は次第にフィジーでの立場を強化することになった。1987年にインド人中心の「国民連合党(NFP)」が人種を超えた「労働党(FLP)」と連合して、それまでのフィジー人による伝統的支配に勝利、政権を奪取したことから、フィジー人はインド人を明確に意識し敵対するようになった。これが1987年5
月および9月の軍事クーデターを引き起こすことに繋がっている。ランヴカ大佐によるクーデターで、2 度目の9
月のクーデター後に、それまでの立憲君主制から共和制への移行が宣言された。
2000年5月にクーデターが企てられた時には、フィジー系とインド系の対立が従来にも増して顕在化していた。このため、インド系で専門的技能・知識を身につけた人々はオーストラリア、ニュージーランドへ移住するケースが増え、フィジー経済への影響が懸念されるまでになった。2006年12月のクーデターは、フィジー系とインド系の直接的対立に起因するものではないとされるが、インド系の人々の国外流出は依然として止みそうにない。フィジーは、多種多様な人々との共存および国家統一が重要な課題の一つとなっている。
社会と生活
フィジーは約84万人の人口を有し、前述のごとくフィジー系住民とインド系住民他で多民族国家を形成している。先住のフィジー人をKaiviti、インド系フィジー人をKaihidi、ヨーロッパとの混血その他のフィジー人をKaivelagiと呼んでいる。英文で表記される“Fijian”は先住のフィジー人に限られている。インド系フィジー人はベンガル地方やビハール地方などの影響が強いと言われている。
フィジー系とインド系では、日常生活でも考え方が大きく異なっている。先住のフィジー人はマタンガリという出自集団、いわゆる大部族がひとつの単位になっており、一族の年長者を尊敬し互いに助け合って生活する昔からの習慣が今日もそのまま残されている。たとえば、フィジーの土地の大部分はマタンガリの共同所有であり、土地の売買は法的に禁止されている。都会に働きに出て行った若者が希望叶わず村に戻って来ても、一族が所有する土地で農業を営むことができる。しかしインド系の人々は、都会で働くことが出来ない場合には、先住のフィジー人から土地を借りて農業をすることになる。土地の借りられないインド系住民は住む場所もなく、したがってフィジー国内を流浪することになる。インド系社会では核家族化が目立つようになっているのも、貧富の差を大きくしている。新たなチャンスを求め、オーストラリア、ニュージーランドなどに移住を望むインド系住民が増えている。
- 都市での確執と貨幣経済
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村落部では先住のフィジー人とインド系フィジー人は分離して生活しているが、都市部では日常的に接触することになる。一般的な都市での構図は、先住のフィジー人が所有する土地にインド系フィジー人が商店を建てて経営し、フィジー人が消費することによって得られた利益は再投資に回される。一方、先住のフィジー人は自分で作った農作物を週末に町の露天で販売し、手にした現金で翌週に必要な日用品を購入する。したがって、ストックでみた貨幣経済の恩恵はインド系フィジー人がより多く享受し、彼等はますますビジネスと教育に力を入れるようになる。職場での環境もこの傾向を引き継ぎ、インド系フィジー人が上司になることが多く、先住のフィジー人の不満に繋がっている。最近の傾向としては、中国系移民の増加がある。商売熱心な彼らは、小売商、中華レストラン等の経営で頭角を現しつつある。
- 伝統的生活習慣を守る
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フィジーはメラネシア文化圏に入っているが、先住のフィジー人はかって隣国トンガを通じポリネシアの影響も強く受け、2つの文化圏の伝統を引き継いでいる。たとえば、一族の誰かが予想外の利益を得ると、それを一族で分配するメラネシアの伝統的な共同生活の習慣を今も守っている。また、冠婚葬祭は必ず一族が集まって祖先とロボ料理を共にする。この料理は地中に掘った穴に焼けた石を置き、その上にバナナの葉を敷き詰めて豚肉や鶏肉、魚、タロイモ、果実を入れ、その上をバナナの葉で覆って3〜4時間蒸す、南太平洋で一般的なローカル料理である。
- 服装の注意
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フィジーの首都スヴァで見かける人々は、ビジネスマンはネクタイ姿が多く、若者はTシャツにジーンズが増えている。フィジー人男性の伝統的正装は、スルと呼ばれる巻きスカートにネクタイ姿である。女性の正装はロングワンピースの下にスルイラというワンピースより長いスカートを着用する。普通は膝下まであるカラフルなワンピースやスカートとブラウスが多い。女性観光客が村を訪問する時は、肩を露出した服装やショートパンツ姿は好まれないので注意したい。
教育
フィジーは南太平洋の教育の中心地であり、他の太平洋諸国に比べて充実した教育環境が整っている。フィジーには義務教育の定めはないが、ほぼ100%の子どもが小学校に入学・卒業、そのほとんどが中学校に進学する。小・中学校の授業料を国が負担する制度もある。地方の子どもは都会の学校に通うために寮に入居したり親戚の家に寄宿したりしている。インド系フィジー人の多くはヒンズー教やイスラム教団体が経営する学校へ、先住フィジー人の子弟はキリスト教の学校に進学するケースが多い。成人識字率は93%(青年(15-25歳)識字率は99%)と高い。
高等教育では、首都スヴァに1968年に設置された南太平洋大学と最近設立されたフィジー大学及び伝統あるフィジー医科大学がある。
宗教
全人口の52.9%がキリスト教徒で最も多く、ヒンズー教徒が38.2%、イスラム教徒が7.8%、その他1.1%である。社会生活から政治、教育にいたるあらゆる分野で宗教の与える影響は大きい。フィジーには伝統的な宗教もあるが、その神であるデンゲイとエホバが同じ神だという説や、ノアの箱舟と同じ様な伝説があって、フィジーの双子の神が白人の国に行ってエホバとキリストになったという話が今に伝えられている。
- 先住フィジー人
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先住のフィジー人はほぼ100%がキリスト教徒であり、それぞれの村に教会があり、多くはメソジスト派である。大きな村落には複数の宗派もあるが、一族の長に従って宗教を選んでいる。インド系フィジー人の約2%がキリスト教徒である。
動物と植物
フィジーの原産の植物と動物の多くがオーストラリアやインドネシア、マレーシアの動植物と関連して考えられている。また、植物が豊富な理由としてはフィジーの島々が、かつてオーストラリアやインドネシアと陸続きだったことの証でもあるとの説がある。
- 植物
- フィジーには3,000種類以上の植物が確認されており、その中には数百種類のシダ類が含まれていたり、蘭の種類も豊富である。シダには食用に適したものもあり、また、伝統的な建築物である「ブレ」の屋根の一部に使われていた熱帯特有のシダもある。
食用植物としてはタピオカ (カッサバ) やダロ
(タロ)、ブレッドフルーツが主要産物である。特に、ダロには多くのたんぱく質が含まれており、また種類も多いのでフィジーの人々の貴重な植物である。バナナやパパイヤ、マンゴーも豊富。なお、南の国の象徴となっているハイビスカスは、19世紀にアフリカから輸入されたものである。
- 動物
- フィジー特有のものとしてはフルーツバット (コウモリの一種)
があるが、犬や豚などの家畜類はすべて先史時代の移住者やヨーロッパ人によって持ち込まれたものである。
フィジーの動物相の豊かさは何と言っても海中にある。数百種のサンゴや1,000種類以上の魚たちがダイバーを楽しませてくれる。サンゴの他にも軟体動物やヒトデ、ナマコ、ウニなどの無セキツイ動物が想像を絶する形を見せてくれる。魚類もカラフルであり、水中撮影の人気者のバタフライフィッシュやエンゼルフィッシュ、イソギンチャクと共生するアネモネフィッシュ、刺で自分を守るライオンフィッシュはその美しい刺に毒を隠している。外洋では、マグロやバラクーダのほかサメやマンタなどもフィジーを訪れるダイバーに人気がある。
在日政府機関
| 大使館 | | | 〒106-0041 東京都港区麻布台2-3-5ノアビル14階 電話:03-3587-2038 FAX:03-3587-2563 |
| 政府観光局 | | | 電話:03-3587-2561 FAX:03-3587-2563 (住所は大使館と同じ) |
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